〈私たちの考え〉
福島原発事故をめぐって
●まず周辺住民の避難を!
福島原発事故が始まって以来、私たちも事故の行方をいらだちながら注視し、メーリングや電話で情報を交換し、いまどのようなメッセージを発信できるのか、意見をかわしてきました。そのなかで共通して出てきたのは、「まず周辺住民の避難を」ということでした。
政府は20キロ圏の避難に加え、3月15日には30キロ圏の「屋内待避」を決めました。その結果、30キロ圏の人々は外に出ることもできず、また外の人も入れず、いわば閉じ込められてしまったのです。
『河北新報』2011年3月21日
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30キロ圏の南相馬市からは、悲鳴ともいえるメッセージが発せられています。
「また原発から煙。南相馬市を含む30キロ圏内はマスコミも県も国も立ち入りません。よって最近の報道は宮城、岩手だけ。
いまもたくさん人がいて、市職員はすべて残って献身的に働いています。ヒーローはハイパーレスキューではなく、防護服なしで駆けずり回る彼らでしょう。
多くの病院も閉鎖し、医療ボランティアも入れず、物資も行かない。県警や自衛隊も入らないので、1200人の行方不明者は放っとかれ、民間の人が自主的に捜査、遺体を焼くにも火葬場の重油がない。
どこも大変だが、いま緊急に助けが必要なのは、原発周辺の20〜40キロの人たちだろう。とにかくガソリンと食べ物を運んでほしい」
(南相馬市の避難所から、福島県立博物館学芸員の森幸彦さんからの携帯メール。メーリングで回覧されているもの。日付はなかったが21日発信)
こうした実情を知ろうともしない経産省西山審議官は3月19日、原子力安全・保安院の記者会見で「避難区域を変更する考えはない」と発言。
さらに3月21日、原子力安全・保安院は記者会見で「仮に悪い方向で進んでも今の範囲で十分だ」と表明しています。
しかし現状は、30キロ圏外でも高い放射線が測定されていて、すでに累積で1000マイクロシーベルトを超える地域さえ生まれています。
政府が何もしないなか、30キロ圏を含む周辺市町村では、必死になって避難先を探し、自治体独自の判断で集団避難を始めています。
政府はまず30キロ圏の住民に救援の手をさしのべ、まっ先に避難させるべきです。
そして30キロ圏にかかる市町村はすべて避難させる。
さらには避難範囲を拡大し、累積で1000マイクロシーベルトに達しそうなところから、順次避難させるべきです。
法律で一般公衆の「線量限度」を1年間で累積1000マイクロシーベルトと決めているのだから、法的にも国が率先してやるべきだと考えます。
●もう原発はやめよう
3月21日現在、3号機の使用済み核燃料プールへの放水がそれなりの効果をあげ、小康状態を保っています。しかし原発事故そのものは、いっこうにおさまっていません。きょうも3号機建屋から灰色がかった煙が出て、2号機屋上からも白いもやががった煙があがった、と伝えられます。
もしこの原発事故が収束できたときには、まず原発をとめる。そして原発のない社会をつくりだしていくしかないと思います。もう二度とこんなことはごめんです。
2011年3月21日、映像ドキュメント WEB担当 荒川俊児
※福島原発事故直後にどのようなメッセージを発信できるか意見をかわし、まとめた文章です。
※映像ドキュメントに様々なかたちでかかわる面々のそれぞれの文章は⇒福島原発事故に思う
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