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普天間基地問題
辺野古を訪ねて

5月16日の普天間基地包囲行動に参加したメンバーによる辺野古訪問記

掲載2010年7月16日

 5月16日(日)沖縄県宜野湾市で行われた「普天間基地包囲行動(普天間基地をかえせ!人間の輪で普天間基地を包囲する県民大行動)」に参加したあと、移設先としてねらわれる辺野古を訪れました。まだ映像が撮れないので、文章で報告します。

沖縄旅地図2010.5

辺野古2010.5

辺野古2010.5

辺野古2010.5

辺野古2010.5

辺野古2010.5

 5月某日・名護市辺野古へ
 天気予報は今日からしばらく雨。暑くないのはいいけれど。
 沖縄に現在鉄道はない。辺野古へは、那覇から名護行き77番のバスで、約2時間半。
 私は前日、名護に来ていたので、昼前、名護からバスに乗り30分弱、「辺野古」のバス停で降りた。一見静かな住宅街だが、米軍海兵隊の基地キャンプシュワブや弾薬庫が近くにある。辺野古の米兵相手の歓楽街も賑わっていたと聞く。

 バス停のそば、道わきに横断幕が2つ。ひとつは辺野古の区民に向けた「ヘリポート移設絶対許すな」。もうひとつが「普天間ヘリ基地辺野古移設絶対反対!」で連立政権にむけたもの。
 辺野古の座り込みはこちら、と看板の通りに10分ほどいくと辺野古の漁港に出た。そのすぐ横、生垣の後ろに座り込みのテントがあった。
 テント内には、12〜3人の人がいた。辺野古区や名護市内だけでなく、市外からも座り込みに来る。仕事のない日だけ来る人もいる。平日であったが、県外からの参加者も私のほかに2人いた。受付に名前を書き、座り込みに参加させてください、というと、どうぞどこでも座って、と釣り用の折りたたみイスを指してくれた。

 テントに短パンの女性が駆け込んできて「誰か2人きてくれない?」。男性1人と、私が雨ガッパを着ているのを見て、「ボート乗る? 向こう着いたらバス乗ってこれるから」。よくわからないまま、目の前の浜からボートに乗る。
 どうやら、県外から市民団体が辺野古を視察に来ていて、大浦湾の奥にバスがとまっている。その人たちをボートに乗せて座り込みのテントへ運ぶため、迎えに行く。しかし本日は大潮、今はちょうど干潮で、ひと月のなかで海面が最も低い。
 このあたり、海底には珊瑚の群落もあり、万が一何かあったとき、ボートを一緒に漕いでほしい、ということであった。

 ボートを操る女性のはなし
 「海底の様子を知っていないと、今日のような日は船を進めることができないよ。あそこがキャンプシュワブ。反対側にはリゾートホテルがあって、その明かりで夜もこの湾はとても明るい。海の生き物たちはまぶしいだろうね。ジュゴンが来ない、来ないって言うけど、来ないのもわかるよ。
 地球が泣いているとか、地球を守ろうとか聞くけれど、わたしたち自身が地球に住む一員だということを忘れている。
 珊瑚を移植して、珊瑚を助けた、なんて言うひともいるけれど、移植したものはどうせ死ぬ。珊瑚を守るなら、珊瑚の生きている環境を破壊しないようにしなくてはいけない。あ、ほら、へび!」
 見るとおおきなウミヘビがくねくねしながら海を渡っていた。すごい、はじめてみた。

 岸に着き、バスでテントに戻る。座り込みの常連という年配の女性を紹介してもらう。その女性のはなし。
 「朝4時に起きて家事をして、50キロの道を車を飛ばして座り込みに来ているの。今は直接の行動がないから、こうやって見ているだけでいいけれど、国が調査しているときは大変だった。カヌーで行って1日やぐらにしがみつくの。そのために、みんなカヌーの漕ぎ方を覚えたわよ。泳げない人も海に潜ったわ。
 辺野古はきれいな海よ、豊かな生態系があるわよ。でも、私はたとえ辺野古の海がきれいでなくても、ジュゴンがいなくても、この海を守りたい、基地を建設してほしくない。
 ベトナム戦争があったころ、私は基地のそばに住んでいた。戦地へ飛ぶ飛行機を見て、子供があの飛行機は人を殺しに行くの? と泣くのよ。私は、泣くのではなく、どうしたらいいか一緒に考えようね、と言った。
 私は、軍機が飛んでいくのをそのまま見過ごすのは、戦争や人殺しに自分も加担していることだと思うのよ。
 辺野古に新しい基地ができると聞いたとき、腹は立ったけれど、一種のチャンスだと思った。基地建設をとめれば戦争をとめることになる。
 沖縄の人間は、民族として認められていない。日本政府は、沖縄人を教育で日本人にしてしまった。言葉も取り上げたし、土地も奪った。あの鉄条網からむこうは(キャンプシュワブ)は、ヒロヒトがアメリカに、使ってくださいと差し出した土地。今、近づくと米兵が「俺たちの土地に近づくな」といってくるの。ねえ、日本は沖縄に対してとても失礼なことをしてきたのよ」

 日本は、といったとき、ドキリとした。やわらかく表現してくれたけれど、つまりは、あなたたちは、ということだ。キャンプシュワブとの境目、鉄条網を見に行く。辺野古新基地建設に反対する人たちが結んだ色とりどりのリボンが風にはためいていた。

 沖縄では、自民党から共産党まで県議会レベルでは、普天間基地の早期返還と県内への移設反対は一致しているそうである。それほど強力に反対している。日本国内、どこの地域も受け入れなかったからといって、すでに基地が多くある沖縄に押し付けるのは、おかしい。

 辺野古への基地建設は、辺野古の海だけの問題ではない。日米安保というけれど、アメリカ軍は彼らの考える平和のために戦争をしている。その平和は、私たちから見て、よその国から見て、同じように平和とは言えない。戦争自体が平和的でないのは言うまでもない。これ以上アメリカに土地を貸し莫大な思いやり予算を付けて、アメリカの戦争を続けさせてあげる必要があるのだろうか。

(川原理子)



 

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掲載2010年7月16日